続 一の関館消滅か?プラス訂正

再度踏査した一の関館跡には僅かに遺構が残っていた



今日は那珂市の研究を手に昨日不確かだった所を確認に行った。


やはり掘りは僅かに残った。が何れ消えるのだろう



まずは説明のための略地図;那珂町史の研究第10号を参考にした
×はなくなった部分,赤丸は現存する部分

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➀本郭の東西の堀,片側は埋立地が迫る,土塁側は篠が生えてる


②本郭の堀・土塁が南へ曲がり(カーブの所),堀は南北へ連なる山道として利用されて両側より低い

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④カーブに近い所に井戸跡?のような凹みがあった。

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③仕切りは消滅していた。家が建った時に仕切りを境に建ったのかも知れない。家ノ裏の当たりの画像だ

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⑤仕切りの反対側に行ってみても神社?祠?は無かった。土地会社か何かのピンクのテープをつけた杭があるのみ。通り抜けられない

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⑥の堀らしきものが少し残っていた。家の塀の外側が土塁っぽい感じはしたが不明

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いずれ消え行く運命なのかもしれないが,此処に一の関の館があったことを,是非新しく住まわれる方に知って欲しい。堀や幾らかの土塁が僅かに残っているが,一部でも保存して,説明と碑を建立する事を願って止まない。



2月13日訂正


⑥の堀らしきものは堀ではなさそうだ。


メールで一の関館の遺構の空中写真を戴いた。それと比較すると⑥の箇所の堀は既に破壊済みで存在してなかった事になる。ここに⑥に家が建ち既に堀が消滅している空中写真を掲載し訂正する。

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⑥を堀らしきものと思ったのは,歩いているうちに方角を見失ったようだ(いい訳)遺構地図と比べても向きも違うのは,今見れば歴然だ。土地造成の折に出来た土盛りと単なる溝なのかも知れない。失礼しました<m(__)m>