少し・・・赤羽緑地公園
用事があって,
11月1日に
日立へ行った。
被害が此処ら辺より酷かったせいか,逆に新しい建物が目立つような気がした。
幼少期から中学卒業までを此処で過ごしたせいか,大好きな故郷だと思っている街だ。
実は,助川山と赤羽緑地という聞いた事の無い地名?をKAZENOKAMI氏のブログで目にした。
実際はあったのだろうけど,当時は耳にしなかった。
で,足元を見るとハイヒール・・・・・・。。
時間が出来ても,助川山には行けそうにも無かったので
赤羽緑地公園に行って見る事にしたが,既に3時半を回っていた。
海岸通りから大甕駅付近を通過後,グルット回わるように坂を上がって下った所が
赤羽緑地公園 だった。
既に日は傾き,人影も1人2人ーーーーー
アリャァ~,特別警戒実施中って
こういう所を一人でプラプラしてると,職質喰らって逮捕されちゃうって事かしらヘ(゚◇、゚)ノ~
で,どんなところなのかなぁ~と!!
総合案内の看板に説明図が有った。
図を拡大して,支丘の記号を入れてみた。
看板の説明を写すと(説明図の看板の薄緑の背景の文字の所)
公園の付近には,大昔から人々が生活していた痕跡がいたる所に見る事ができます。
この場から右手の丘陵斜面には,今からおよそ1,400年前のお墓があります。4つの丘陵が南方に向けて張り出した斜面の,もっとも線路寄りの台地斜面(D支丘)には,26基もの横穴墓(おうけつぼ)が見つかりました。
平面形が羽子板状,砲弾状等の形の違うものがあります。横穴墓の中からは,当時身に着けていた武器や装飾品などが発見されました。また,B支丘といわれる奥側の斜面からは,金銅製冠(こんどうせいかんむり)破片・鎧の一部等が発見されています。
また,これらの横穴墓に埋葬された人々は, 西側の台地上又は北側の台地上に各々家を構えていたようで,団地造成時に多くの家跡が調査されました。その数は100軒を超えています。縄文,弥生,古墳,奈良,平安時代の集落として構成されていたようです。
様々な時代の集落跡が台地上に営まれ,古墳時代の墓制がこの斜面に造られているのが,この公園の歴史的背景を浮かび上がらせている特徴のひとつです。
同時に,池を含めt古代の原風景を思い起こしてください。当時の人々がこの周辺まで「入り江」を利用し,生活交易に励んでいたことが想像できますね。
此処は,上野から常磐線で日立に向かって,大甕駅の手前・左側になると思う。
実際に,既に日が傾き,説明図を見てもよく分からなかった(方向音痴)
けど
自然観察池付近をウロウロしていて周りを見渡すと(盆地)
岩が露出して穴が開いてるのが見えたから
野鳥の池のアッチ側がB支丘のような雰囲気なので,行ってみると
赤羽横穴墓群,ヽ(^。^)ノアリャアリャー 横穴の中にブルーシート? (+。+)アチャー荷物置き場に成ってるし
どれが一号墓だか分からない・・・・。。