戸村城跡 1

 
戸村城 戸にあり
 
那珂川を挟んで,那珂西城と相対している。戸村氏には,前の戸村氏と後の戸村氏が有る。前の戸村氏藤原氏で,御城と称される所を本丸とした。後の戸村氏源氏佐竹氏で,北城と呼ばれている所を本丸とし,城郭は大部分前の戸村城を改築しているようであるが,本丸の城郭は二つに分かれて土塁・空濠が今なを面影を残している。これらの廓はおおむね不規則な形をし,廓と廓とは,相互に複雑な組み合わせをしている。総構南北およそ780m東西およそ480mである。濠の幅は約15m,土塁の幅は約4m,濠の深さは約8mである。(那珂町史 中世・近世編より)
 
戸村城跡縄張り図(那珂町史の研究第12号 高橋裕文氏より)  ※図中の番号は書き加えたもの
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保存状況
戸村城は,台地上の平地にあり,街道に沿った宿が形成されているため,宅地化がかなり進み,屋敷の裏とか脇,傾斜地に堀・土塁が残っているだけになって仕舞った。
 
 
 
交通(アクセス)
県道 長沢・水戸線 バス停戸村下宿下車(戸村不動尊卍の所)
車は,文殊院か龍昌院の駐車場に停められる
近くにコンビニなし
 
 
 
戸村城遺構
① 小場江用水の両側に土塁が見られる。小場江用水が堀底っぽいが(?_?)
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②小場江用水に向かって堀底(今は小道?家と家の間)を南に進み,横矢掛かりを過ぎようとする所に高さのある土塁に気が付く。民家の庭にも切れ切れに土塁が見られた。小場江側から見て
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③の所に戸村城址の説明板が建っている。戸村不動尊脇の道を西に入って行った所(右手)
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説明板の説明内容 縄張り図は上記掲載のものと同じなので略 ※赤文字・黄線は書き加えたもの
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説明板の太陽神(日天月神月天)の巨石は茶畑(現在普通の畑で①土塁の西側)にあったが,某人が①の土塁の上に西向きに置いたらしい。今は風化して可也小さくなってしまったとの事。(聴き取り)
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①の民家の裏側に西と北を囲むように土塁が見られる。北西の角が高い。
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↑の土塁を⑦付近・東側から見ると堀も深い。薬研掘りかな?かなり急峻だ。
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⑦付近にあった石仏 首が無いのは残念だ。
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南城・北城の東側を南北に走る道路(堀底)の西側には低いが土塁が散見できる。小石が多いのは堀底の土に混じった石を掘り上げたから。ここら辺一帯は,土塁の上だけでなく其処此処に小石がかなり多く見られる。
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④の堀・土塁  北城の北側を走る堀・土塁
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⑤の堀・土塁 可也規模が大きく,坊小屋の南を走る。上の④の堀と北城と坊小屋の境目で合わさる。
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此処から侵入すると北城と坊小屋の境目の堀に出られそうだ(次回行って見よう)民家に挟まれて此処からしか入れそうにないかな(?_?)