今日、高野館に行った。そこの北側の杉林の中で「何しに来たの?」って不審がられた。「今どうなってるかと思ってきたんですけど、この杉林高いから何かあるかなって思って」
「此処は前の大きな木が無くなったので、風で木が折れて・・・木はそれだけではダメなんだよね」って木の整理に来たみたいな方に声掛けられた。竹林の方は、昔萱を植えてて畑だったそうだが、一段低くなっていた。
高野館跡は3人の地主でN開発に売ったそうだ。もうU字溝が置いてあってただの造成地のようだった。
色々話してて・・土手中にいったらて話になった。土手中か・・・。何処だかわかんないや(^^;;;
家に帰って・・・土手中だってブツブツ言ってたら母が「こう行くんだよ」って地図で教えてくれた。なんで知ってるんだろう?「寄居城は?」ってきくと「そんなの知らないよ」だって?
まあ以前ブルが入ってたので期待しないででかけた。
車を止めて、この道路堀だったんじゃないかな?って両側を1枚。馬渡瓜連線だ?瓜連馬渡線だっけ?六号国道の稲田十文字に行く道で、寄居十文字まで行かなくて、菅谷バイパスのケーズ電気から来た道と合流する地点だ。
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スキャナーなんか持ってないから、紙に図を書いて見た。車を止めて手前がわの杉山に入ったが何もない。ので車を止めた側の土塁上に上がる。道の両側が土塁のようで、瓜連馬渡線はもしかして堀跡?
| この道路の両サイドも土塁のような感じがする。外堀の跡なのかナァ?
| 上がったら畑の向こうに杉林があった。行って見よう。まだ3時だ。畑は道路から私の背丈くらい高い。
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畑から見て杉林は更に高いが・・・何と目の前に堀が・・・あった。堀の向こうに土塁が。土塁は畑より更に高い。まさしくこれは・・・だろうな!
| 堀は浅く降りて更に内側の土塁の中を進む藪というほどではないが倒木や背の低い木に邪魔される。60歩くらい歩いた。真っ直ぐかどうかは解らないが・・・
| 東側の堀に行き着いた。な・何と水掘りだ。水が残っている。東西はそんなに広い土塁ではなかった。でも見つけた。何となく感動。間違いなく城跡だ。
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北側の堀もあった。が人は入らないらしく浅く埋まっていた。南北は長く東西は短いような気がしたが・・・全体がわからない。帰り畑仕事をしている人に聞いたら、昔お城は在ったよとのことだ。
今切ってる木は大きくなりすぎたから切ったので、今後どうすると言う予定は聞いてないそうだ。
家に帰って「あそこは平野○○さんの土地でもう亡くなってるって母が言ってた。なんでうちの親が知ってるのよもう~。
土塁の東南の隅に祠がチョット高いところにあった。
あれはここらで通称「土手中」と言ってるが、地天館なのか寄居城の一部なのか、または全く別個なのか私には解らない。堀を一周したかったけど、時間が・・・薄暗くなってきたし北側の道路も人が通った形跡が無く藪で薄暗いので途中で帰ってきてしまった。
収穫はあったが・・・もう少し詳しく見てみたい。人は入ってないそうだ。
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土手中の東南の祠
| おまけ;高野館の今・・・こうなっちゃったσ(^◇^
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