菅谷寄居館(通称・土手中)の周辺
那珂町史の研究から拝借した地図に説明のための番号等を書き込んでみた。 | |
著作権違法はゴメェ━━━━━。゚゚(*´□`*。)°゚。━━━━━ン!!!!です。 | |
③天王様の小原神社の中(暗くて・・・) | |
④大杉神社。天王様は寄居十文字の北側の入り口の狭いところに祀られていた | |
内郭へのコンクリ?石畳?の細い道。奥の右側がお墓。左側が田んぼか陸田。入り口の⑤の番号のところに高い土塁があって祠と平野氏滅亡の時の館主・平野将監重国の供養碑が在るはずだが、何も無かった。以前来た時には祠はあったんだけどな??? | |
そのお墓への左側の土塁の先端・・・何も無い∠( ゚д゚)/ | |
①の祠・・・荒れ果てていて藪に入るのが大変だった。もうなくなってしまったのかなと思ったときに、w(゜o゜)w オォーあった~!こりゃぁ罰当たるぞ~!! | |
②の祠。何でコレだけ?(・_・)......ン?ピッカピカ | |
⑥の薬師堂。館(内郭)の南東200mくらいのところに銅の屋根で綺麗に立て直されていた・・・きっと移されたんじゃないかな?材料は昔の龍の彫り物がそのまま使われていた。大事にされているようだ。 | |
その道路を挟んで野仏なのか墓なのか私には分からないが・・・一見手入れされているようだが、後ろの2列目には首の取れた仏様や倒れた菩薩?様が。直してあげるには一旦魂を抜かないとダメなんでしょうね。何か悲しい歴史があったのかもしれませんね | |
何でこういうものが其処にあるのか、あるべきものが無いのか、那珂町史との違いは何なのか?聞き込みをしなければ分からない。とりあえず、お墓の右側の土塁の上の祠と碑がどうなったのか・・・・????聞き込まなければ。 |