洞前 百段 焼鍋 八郎墓 大洞

溜は溜でも元気のいいためばかりではない。枯渇しそうな溜を求めて
 
 
1 洞前池 ・・・・・・大字戸崎に在り・・・湧出多く・・・・
 
2 百段池 ・・・・・・大字戸崎に在り丘陵の下に在りて之を三個に区割りし池下の水田十五町歩に灌             漑す・・・
 
3 焼鍋池 ・・・・・・大字戸崎字焼鍋に在り面積四畝廿七歩湧出の水源無く灌漑の利にもまた多から             ず・・・・
 
4 八郎墓 ・・・・・・大字戸崎堺字八郎墓
 
5 大洞池 ・・・・・・大字飯田に在り・・・・・従来二個に区割りしありし・・・・・・今は三個に区割りせり,             水源は大字堺八郎墓より発し・・・
 
                                                  芳野村 水利より
 
 
 
 
此処で,疑問
百段池って何所だ? 
焼鍋って何所だ?・・・・・・聞き込みをしても鍋焼きだ                   か焼鍋だか知らないよ                  (笑)状態だし
八郎墓は何所に?
 
 
 
上記 2,3,4,について,早速探しに行った。雨天だが終末が雨のドツボに嵌っているので仕方が無い。
が車も靴も泥だらけ,デジカメは濡れるし,足は泥が付いて重く歩きずらい。一人で苦戦していた。
傘を差して藪はくぐれないし┐('~`;)┌
 
 
1 洞前池   5 大洞溜は 地図にもあるし有名なのでさておいて・・・・・
 
 
 
 
2 百段池  
  まぁ変わった名前だが,戸崎の東京電力那珂変電所の西にあった。
  聞き取りによると,昔は雷魚とかいたんだけど,今は何も居なくて・・・・・
  流れ出して田を潤していたようだが,排水溝はあるが暗渠で何所に行ってるのやら見当も付かず。  地図でも確認できず。確かに3個に区割りされていて,一番奥は水が少なかった。丘陵からの湧水  はあるように見えた。
 
  右下1番目の百段溜池 と奥2番目の百段溜池                                  
 
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         百段溜池看板 ↑
 
3番目の百段溜池  
此処は東電の変電所脇で,変圧器の重低音だけがが聞こえて人一人いなく不気味な所でした。 電磁波がいっぱい出ていたんだろうな?一人で行くべからず。   
 
 
 
3 焼鍋池
  戸崎の久保山共同墓地の南側に東西にナガヒョロク蛇行して,かなり荒れた状態で存在確認でき   た。
  今は東側から細流が入り込み焼鍋を通って西へ,暗渠を通って中部用水路に流れ込んでいた。
  焼鍋一体は低く,葦やツタ植物に覆われ,下を水が流れてるとは知らずに踏み込んで泥に嵌りそう  な雰囲気だ。まもなく消失するのではないかと危惧する。手入れは少しされているようだが,ハンノ   キが茂って,池の中にまで生えていた。コレでは殆ど灌漑の役には立たないだろう。
  池の末期症状みたいで悲しかった。
                                  
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焼鍋池の始まり 東から ツタの中下には水がある。                          コレで焼鍋池は終わる。右手がハンノキノ群生
                              池の中は葦とツタだらけ
 
 焼鍋の終わりから暗渠で道路を横断して,焼鍋から流れ出した水は 細流とナリ再び暗渠を通して中部用水路へ
 
 
 
 
 
4 八郎墓
  これは水源なので,墓ではなかろう。
  戸崎と何処かの境なら,恐らく地図から見て飯田との境と見当をつけた。境に色の濃い田んぼがあ  ったから。実際行って見ると,湿った田が見られた。聞き取りによると「トラクターが埋まってしまい   かなり深い」とのこと。年中ジクジクしているそうだ。
  脇の細流は南の大洞溜の方に向かっている。では逆に来たに遡ろう。ドンドン行くが・・・・コレは戸   崎と飯田の堺だ(字は違うが文献と一致)。藪をくぐって水路を跳び越して,足元にはフキノトウが♪ 
  遡る事300歩くらいかな? 在りましたぁ~,杉山の洞から水が湧き出しております。水源は此処   だ!
 
  八郎墓とは,この水源から流れ出した水が潤す田んぼ一帯を言うのだろう。また北側の杉林からの  湧水も直接,田に染み出してるに違いない。
  八郎墓 ⇒ 八丁箱 と呼んでいるとか?
                                   
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 田んぼの中のジクジクしたところ                                        洞穴のような所・奥が水源だ 戸崎・飯田堺を流れ                               て 大洞溜へ と流れていく。
 
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                  雨が降っていてもフキノトウは咲いていた。何となくホッ!
 
 
 
 
 
まとめの地図
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丘陵からの水を堰き止めて洞前池の堤を作ったのは,永田茂右ヱ門親子
その水の管理をしていたのが,内後館の戸島弾正氏 
百段溜は,戸崎鹿島館の管轄か? 不明(館主不明)
 
いずれも丘陵下の豊かな水源を利用して田畑を潤し,民の生活を豊かにしていたのだろう。
 
 
 
※ もっと画像を載せたかったが,容量がいっぱいで,画像圧縮しすぎても見ずらくなるし┐('~`;)┌