東京へ 徳川将軍家墓所・増上寺
連休中なので都心はとても空いていました
黒門から入ってみました
黒門は 真っ黒だったみたいですね
御成門交差点付近の芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあった増上寺方丈の表門であった旧方丈門であります。三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(1648~1652)の建立とされております。明治時代に増上寺方丈に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となったおり、鐘楼堂脇に移築したものを、昭和五十五年(1980年)に当山通用門として日比谷通り沿いに移築しました。 増上寺ホームページから抜粋
黒門を入ると物凄く大きな大殿がドーン その後には東京タワーがドーン
大殿の御本尊阿弥陀如来様をお参りして
安国殿の前を通り
先ずは鋳抜門です
此の左わきから入ります
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮さまも含まれています。 ホームページより抜粋
二代将軍秀忠公は内室崇源院(お江の方)と共に合祀されています(石塔)
増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。元和八年(1622年)に再建されました。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
鐘楼堂 を見たりして
増上寺の社食?(寺食?)で800円のお昼を食べて
上野の 寛永寺 に向かった
思ったより人が居なくてゆっくり見る事が出来ました
残念な事に
昭和20年に2度にわたる空襲直撃で増上寺御霊屋は殆どが消失して,残った建物も国宝指定を解除されています
今は写真でしか見られない御霊屋は装飾華麗で当時の芸術の粋を尽くしたものだったが木造のため消失してしまいました
秀忠公の宝塔は焼失してしまったので正室江与殿のものを使っているため少し小さい
戦後 増上寺現在地に改装されています
天下の将軍家だけあって流石は立派な宝塔でした