仲の坊東館跡が・・・・・・・w(☆o◎)wガーン

何気に溜池見て歩いてたら
 
 (._. )( ・_・)(・_・ )( ・_・)アレ何時もと違う風景が・・・・・
 
何処かにタイムスリップしたみたいな \(゚ロ\)ココハドコ?(/ロ゚)/アタシハダアレ? 
 
みたいな違和感が
 
春から来てなかったからなぁ~
 
 
 
 
 
もしかして 仲の坊東館跡 ・・・・・・(+。+)アチャー コレは 嘘でしょ。
 
軍司筑後守様が 裸ん坊 じゃ~っ ヾ(>y<;)ノうわぁぁ
 
遂に 売却されたか
 
○○ハウジング? 
 
発掘調査はするだろうけど,埋められた上に 
 
家が沢山建つんだろうナ
 
 
唖然 ボーゼン ブルの轍がクッキリ 一か月くらい前に丸坊主にしてしまったらしい
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下の地図の遺構が竹林&杉林の中にあった。その杉林が丸丸伐採されて堀や土塁が丸見えに成っていた \(◎o◎)/! 南東側は既に住宅が建っている(発掘調査済み)
イメージ 1高橋 裕文氏作成 番号は勝手に入れさせて頂いた。
 
 
丸坊主の堀や土塁をデジカメしてきた。いずれにしても発掘調査を待ち,説明書類を貰おう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
軍司氏の氏神稲荷社が①の土塁の前にある。氏神社の後ろから土塁が有った様に見えてたが。
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②の角の土塁(内廓の方)
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②の角の土塁を掘底から見て。結構な高さがある。竹や杉が有った頃は,こんなに堀が深いとは思わなかったが。
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②から③に向かって
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③の角の土塁と堀 外廓の更に外の北東の柵の外から
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③の角の土塁を掘り底から見て
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③から④への堀
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④の浅い堀
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外廓や外堀は,夕刻・日没前で画像がハッキリせずよく分からないものとなっていた為 没
竹林などがあって分からない所までハッキリ露出したが,発掘調査を待ちたいと思う。
 
 
 
この館跡は,外廓が北東側が105m,南東側が推定136mで方形の堀に囲まれている(那珂町史の研究第10号)館主は軍司筑後守。
付近はときわ台団地となり,既に南東側は宅地化しており,破壊も時間の問題かと思っていたが,突然の丸坊主に\(◎o◎)/!晴天の霹靂・・・・・・。。